アーカイブ — 2018年10月26日に公開されたインタビューです。グレードと意見は、語られた当時のものです。
2001年のボルダリング世界選手権で優勝し、現在はE9の経営者であるMauro Calibaniが、世界のボルダリングを支える重要な課題の一つ、MeschiaのTonino ’78の歴史を語ってくれます。彼は2004年にこの課題を初登しました。
こんにちはMauro。ボルダリングの歴史に確かな足跡を残したTonino ’78について、お話しいただきありがとうございます。2004年当時、難しさを比較する基準となる代表的な課題には何がありましたか?
当時、ヨーロッパで比較の基準となる偉大な傑作は、CrescianoのDreamtimeでした。私もトライしに行きましたが、その頃はまだ登れていませんでした。スイスへ頻繁に通うには、移動の面で大きな負担があったからです。自宅から800 kmも離れていて、お金も時間もかなり必要でした。それでも、その難しさについては、はっきりとした感覚をつかんでいました。
自宅の近くに、極めて難しいボルダー課題が隠れていると、どのように気づいたのですか?
私は以前から、既存の課題を再登するよりも、新しい課題を発見することにずっと強く惹かれていました。限界に近いボルダーだけを登るのではなく、360°の視点でクライミングを体験したかったのです。環境、新しい動きの発見、創造性、そして仲間と一緒に登ることが結びついた、一つの過程として。最初にいたのは、Stefano Finocchi、Marco Dialuce、Bertrand Lemaire、Riccardo Traini、Stefano Romanucciという、ごく少数の友人でした。私がMeschiaを開拓し始めたのは1996年の終わり頃で、その後、彼らが加わりました。ラインを掃除し、一緒に過ごし、雨の日でも、そこで一日を過ごすことがありました。当時は登れるとは思っていなかったルーフのある岩の下で、雨をしのいでいました。そのエリアで最も難しいラインを見つけようと、気負っていたわけではまったくありません!その後、自分のレベルが上がり、Fontainebleauの流れをくむフランスのクライマーたちと交流する中で、状況が変わりました。そしてある日、あのルーフが「人生のプロジェクト」になり得ると気づいたのです。自分のビジョン、それまでの歩みに欠けていた難しいラインでした。
初登はどのように実現したのですか?
このプロジェクトには、合計で約一年取り組みました。遊ぶような気持ちで、ストレスを感じずに。まず立った状態から登り、次に座った状態から、最後は洞窟の奥から登りました。最後のバージョンにトライし始めたときは、終盤で疲れ切って落ちることを繰り返していました。そこで、力だけで登るのでは足りず、頭と心も注がなければならないと気づきました。最終的には登り切ることができました。私にとって、この課題はクライマーとしての歩みを支える重要な柱の一つです。
そして最後に、グレードですね!
そうですね。私にとって最優先の問題だったことはありませんが、無視するわけにはいきません。当時、私は「思い切って」8C+と評価しました。この難度で最初のボルダーだったのです。伝説的なFred NicoleのDreamtimeは当時8Cでしたが、それより難しいと感じていたからです。
では、世界中から喝采を浴びたのですか?
実際には、喝采というより時限爆弾だったと言いたいですね!私がまだDreamtimeを登っていなかったことが、「道義的に認められない」と受け取られ、論争が絶えませんでした!そこで、登るためにスイスへ戻り、再登しました。それによって、Tonino ’78のほうが難しいという自分の確信を確かめることができました。その後Dreamtimeが8B+になったとき、難しさの関係に無理がないように、自分の課題も8Cへ見直そうと提案したのは私自身でした。グレードはさておき、この二つは、そのあたりの難度に達した課題として、最も早い時期のものに数えられます。
ありがとうございましたMauro。またお会いしましょう!











