Mutation初登から25年:Raven Torに刻まれたSteve McClureの傑作

1998年10月14日、頭角を現していた英国人クライマーSteve McClureは、自分の限界を試す大きなプロジェクトだったMutationの終了点にクリップしました。これは史上初の9aではなく、Steve自身も9aを提案してよいのか確信していませんでした。しかしMutationは、すでに非常に難しいEvolution(8c+)の延長で、頼りない足場と少ない手掛かりが続きます。Steveがグレードを示す前から、こうした特徴を見た人々は9aを話題にしていました。

 

 

Mutationの最後のムーブを登るSteve McClure

Mutationの最後のムーブ。歴史ある雑誌OTEに掲載されたこの写真によって、Steveはより広く知られるようになりました。(撮影:Ben Lowe)

 

 

1990年、Raven TorにあるBen Moonの傑作Hubbleは、英国の高難度クライミングの水準を押し上げました。短くパワフルなこのルートの写真は主要なクライミング雑誌に広まり、若いクライマーたちを魅了しました。当時の英国でHubbleが大きな存在感を持つ一方、Mutationもクライミング史の重要な一章です。この記事が公開された2023年10月時点で再登は1回だけで、初登から23年後の2021年にWill Bosiが達成しました。

 

 

Steve McClureとはどんなクライマーだったのか

 

当時のSteve McClureは、どんな人物だったのでしょうか。今では粘り強さ、安定感、卓越した技術で知られていますが、1998年には英国の地元クライマーの輪の外では、それほど有名ではありませんでした。学業を続けるのに適した場所としてSheffieldを選んだ彼は、より難しく注目に値するルートを静かに登り重ね、そこで少しずつ評判を高めていました。

 

 

Sheffieldのクライマーたちの日々は、プロジェクトへのトライとパーティー、岩場で過ごす昼と遊びに出かける夜が入り交じっていました。翌日にはうろ覚えになるほど酒の進んだ会話のなかで、1990年代末にはSteve McClureの並外れた成果がたびたび話題に上るようになったのです。

 

 

Steveは、自分には届かない英雄だと思っていた少数のトップクライマーたちの仲間入りをしつつありました。Jerry Moffatt、Nic Sellars、Seb Grieve、そしてもちろんBen Moonが当時のシーンを牽引し、その個性と情熱、素晴らしい登攀で一般のクライマーや若者たちを刺激していました。Steveが彼らの足跡を追ったのは名声を求めたからではありません。成功の可能性が100分の1でも信じ、限界を押し広げ続けたのです。

 

 

Mutationのクロスムーブに挑むSteve McClure

何度もフォールした難しいクロスムーブに備えるSteve。(撮影:Keith Sharples)

 

 

Mutation、あるいは奇跡の瞬間

 

極めて難しいルートを見上げ、終了点まで届くには奇跡的な巡り合わせが必要だと感じたことはありませんか。Steveもトライのたびにそう考えていました。前半は非常に難しいEvolution(8c+)そのものです。そこを余力を残して登り、自然につながる延長部分から二つ目の終了点へ向かわなければなりません。終盤には、完璧なタイミングに加えて筋力と瞬発力を要する厳しいムーブがあり、各トライの心理的な負担も増していました。

 

 

そして風の強いある日、英国の冷たい突風がSteveの背中を押したかのように、そのムーブを成功させました。彼のクライミング人生を画する瞬間です。一時はルートを「Divine Intervention(神の介入)」と名付けようとしましたが、よりふさわしいMutationを選びました。Steve自身がボルトを設置したこの延長部分は、23年間にわたって再登を許さず、英国の新世代クライマーWill Bosiがついに二登を果たしました。

 

 

2001年にEvolutionを登るSteve McClure

2001年にEvolutionを登るSteve。数年後にどう感じたかを確かめています。もちろん、その難しさは変わりません。

 

 

1998年、クライミング界はどこまで進んでいたのか

 

Steveがグレードを検討していたころ、メディアやプロジェクト、あるいはEvolutionだけでも試したクライマーたちは、すでに9aを語っていました。グレードの指標とされるAction Directeは、1991年の初登から7年間で、Alexander Adlerによる再登が1回あっただけです。世界で2本目の9aとされるOmは、Alexander Huberが1992年に初登し、最初の再登は17年後の2009年にAdam Ondraが達成しました。HuberのWeisse RoseやOpen Air、Fred Rouhlingの歴史的なルートもMutationに先立って高難度への道を開いていましたが、新たなグレードには多くの不確実さが伴いました。それぞれのルートには、ラインを見いだし、ボルトを設置し、試行を重ね、ついに初登したクライマーの、身体と精神の限界に挑む物語があります。

 

 

2021年にMutationを初再登したWill Bosiは、当初の9aを再評価して9a+を提案しました。今後の再登でもその評価が確認されれば、Mutationはこの難度の初期のルートの一つになります。ただしAlexander HuberのOpen Airは1996年に初登され、2008年の再登後にAdam Ondraが9a+と評価しています。数字とは別に、MutationがSteveに持つ意味と、クライマーを惹きつける魅力は変わりません。

 

 

Mutationを試登するWill Bosi

Mutationを試登するWill Bosi。小さなホールドが続く上部は、彼にとっても特に厳しい区間でした。

 

 

初登から25年、Steve McClureがMutationを語る

 

初登25周年を機に、Steve McClureにこのルートと、かつてと現在のクライミングについて聞きました。

 

 

Steve、25年が経ってもMutationの再登は1回だけです。クライミングが進歩し続けるなかでも、これほど難しいルートであり続けると想像していましたか。

 

そう、25年です! 驚くほど長いですね。二登までに長くかかったことより、私がずっとこのスタイルで登ってきたのだと実感します。人生の半分です。当時、Mutationがほかの人にも難しいとは考えていませんでした。私個人の挑戦だったのです。ほかの人にも挑める新しいルートができたのはうれしいですが、その人たちにとってどんな難しさになるかは考えていませんでした。正直に言えば、私より強い人たちなら、かなり早く登るだろうと思っていました。

 

 

なぜMutationは、新世代のクライマーにとってもこれほど難しいのでしょうか。

 

Mutationはまさに『岩を登る』ルートです。足場も手掛かりも悪く、ムーブが複雑です。ジムで身に付ける能力より、実際の岩での幅広いクライミング技術が求められます。新世代は屋外クライミングと屋内トレーニングを組み合わせていますが、屋内でのトレーニングはこのルートの成功率をそれほど高めないかもしれません。彼らは身体的にはずっと『強い』としても、ここでは岩での技術と強さが本当に重要です。Mutationを登ったころ、私はジムではほとんど登らず、ほぼ屋外だけで、特にRaven Torでは何度も登っていました。またこのルートは、小さなホールド、強い体幹の緊張、高い足上げという点で、私のスタイルにぴったりです。このルートに出会えて本当に幸運でした!

 

 

Raven Torの岩壁

Raven Torの岩壁

 

 

クライミング史に一ページ、あるいはそれ以上を刻んだと分かった今、クライマーとしての自分について新たに気づいたことはありますか。

 

自分がクライミング史の『何ページか』を書いたかもしれないとは思います。でも結局、私は昔から同じクライマーだと分かりました! 有名になりたいわけでも、歴史を作りたいわけでも、最高の選手になりたいわけでもありません。ただ登ること、屋外にいることが好きなクライマーです。全力を尽くして自分に挑戦するのが好きです。これからもずっとそうだと思います。

 

 

Mutationの初登後に起きたことの中で、例えば自分の能力への自信が増したことも含め、最も感謝しているのは何ですか。

 

何より、自分の人生が今のようになったことに感謝しています。Mutationとその後のルートのおかげで、多少の幸運にも恵まれ、クライミングの仕事に入ることができました。今ではルートセット、指導、講演、執筆、チーム運営、製品テストなどで、このスポーツを仕事にして生活しています。本当に素晴らしいことです! 仕事が大好きで、長く大変な日もありますが、ほとんどの時間は仕事をしている感覚がありません。自由度も高く、素晴らしい場所を訪れ、多くの素敵な人に出会い、家族と楽しい休暇も過ごせました。以前はエンジニアとして週5日、朝8時から夕方6時まで働いていました。その仕事も好きで、一生続けるつもりでした。でも今の働き方のほうがずっと良いのです! お金の面では決して裕福にならないでしょうが、楽しさという意味ではもう十分に豊かです。

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